やかんです。

今日も今日とて解析学について勉強します。腹落ちして、「完全に理解した」と納得できる日が来るのを信じてやってますが、本当に来るんですかね。わかりません。

めも

アルキメデスの公理

  • これは、条件を満たすようなNの存在をみんな認めていいよってこと。

カントールの公理

  • これは、bnとanが、cについて一意性が主張できるくらい近付くよってこと。

収束の定義

  • 定義が定義として受け入れられるためには、一定の批判に耐えられる必要がある。これが定義として紹介されているということは、「この定義に乗っておけば、とりあえず不都合が生じることは当面ないよ」みたいな温度感なんだろう。
    • ↑ただ、あくまで定義されたものであるから、絶対無欠のものではない、ということも認めておく必要がありそうだ。
  • よく、「これは収束するか」みたいな例題?問題?を見かけるが、「収束するか」というのは、その文脈の中で収束というものが定義されており、「収束の定義を満たしますか?」聞かれているということ。
    • でも、いちいち収束の定義に照らしていたのでは面倒な場合があるから、そういう場合は「単調増加で有界なら収束する」みたいな定理を利用する場合もある。
    • が、もちろん、当然だが原則は定義。
  • ↑これについて、「え、単調増加と有界を言うだけで収束の定義が満たされていることにしていいの?」と思うが、それは定理として証明されているから、「そうなんだ」と思って使って良い。ここについても自分で証明できていると安心してこの定理を使える。要は安心感の問題なんじゃないだろうか。

収束条件

  • 何かが理解できるってどういうことなんだろうな。。理解できていないと感じる時は、理解できていると感じる時と何が違うのだろうか。
  • 収束条件が定理として示されているようだが、これを定理として証明できない。数列の有界を示したいんだけど、どうやって示せば良いのだろうか。
    • なぜそうなるのか、どういう論理をたどったらそこに辿り着くのか、その結論に至るのかがわからないってことなんだろうか。
    • 論理的な手続き、「前から後ろへ」という流れが踏み切れない。
    • んー、、論理的に組み合わせれば、論理が「次これだよ」と言ってくれる通りに繋いでいけば証明され得るはずなんだけどなあ。

例題について

  • 「これ降ってきてるよね」みたいに感じる時もあるけど、それは降ってきているようで一定の論理をへた結果であるし、あるいは「降ってくる」ことも含めて論理だったりする。
    • でも、「これ理解できないな」っていうのは、「飛び道具が使われてる感」なんだよね。
  • ↑この辺が、しっかり腹落ちして理解できるようになる日は来るのだろうか。。
  • 定数は、何がどうあっても定数。どう頑張っても定数。あるいは、「これを定数として扱う」というのは、「これは、『動く値である』という資格を剥奪します」と自分都合で宣言することなのかもしれない。それが合法とされるのが数学の世界ということか?

数列と極限の章が終わる

多分、数というのが一番プリミティブな数学の対象とするなら、数列は同じくらいめちゃめちゃプリミティブな話題なんだろうな。このプリミティブな、シンプルな話題において収束、極限を扱ったんだと思う。

数を並べてみたら、「めっちゃ先頭の方」ではその数の列がどんなところに行き着くのか気になる。で、実際に「数の列における無限に先頭の値」とかを観測することは難しいから、数式の力を使ってその先頭を見に行った、という話だと思っている。

あるいは、「先頭の方」の性質が気になる、で、おそらく「こんな感じになっているだろう」みたいな論理的な経験則から、収束というものを定義してみたら、数学に関して議論が盛り上がって楽しかった、みたいな軽いノリなのかもしれないが。

数をn個並べてみた時の、nがめちゃめちゃ大きい時のその列の様子が気になる。乱暴な言い方をすれば、ものすごく恐縮だけど、「収束というものを後発的に定義して、『無限に続く数の列の性質』について知った気になる」という話とも解釈できるか?

今までの議論は、数というものの存在、数というものが持つ大小関係、演算、といったものを、なんのことわりもなしに、既知のものとして扱ってきた。特に大小関係が収束や極限の議論においては基盤をなしていると思われる。あるいは、大小関係があるなら、数列もいつか「これ以上大きくならない」という状態に陥るかもしれないし、「どこまで行っても大きくなり続ける」という状態を迎えるかもしれない。これらは、大小関係というものが既知であるなら、割と当然に想像できる話だ。これについて、「収束性」という名前で、数列の状態に定義を与えた。定義を与えてみたら、「その定義に基けば、こういうことが言えるよね」っていう定理がたくさん証明可能だった。

っていう話を、数の列という一番シンプルな「例」を使ってみてきたわけだ。次は、関数について同じような議論を展開することを試みると。

呟き

もはや全て呟きだが。

  • 数の大小関係と演算を前提した。これは、例えば収束について考える時に相性がいい。三角不等式などはよく使われる。相性がいいからね。
  • ↑でもこの前提だけだと議論に限界があるから、公理をおいた。それがアルキメデスの公理とカントールの公理。
  • あとは、以上挙げたものを使って概念を定義し、そこから導かれる定理を追う、という試みが続く。
  • なんかねー、線型空間とかを勉強するときに得られる「なるほど!」感がなかなか得られないんだよねえ。
  • 飛び道具感。
    • ↑これだ!!!
  • ↑もやっと感が言語化されるだけでだいぶスッキリする。
  • 解析学、やたら「抽象的だなあ、いつ使うのこの定理」みたいに思うものが多く登場する気がしていた。でも、しっかり「飛び道具感」なしに論理を展開するためには必要な定理なはず。

次。

関数について見ることはできなかったので、次から関数について見ていこうと思う。

ということで、お疲れ様でした。最後までお読みいただき、ありがとうございました。