やかんです。

微積を頑張ろうと思ってますが、実はまだ微積にすら入ってないんですよね。それにしても歯応えがあります。

めも

関数に関する収束性の定義について

  • 前回からひたすらこれ見てる気がする。

少し解像度が上がった気でいる。

  • 関数は、「xの値に応じてf(x)が定まる」というもの。だから、一口に「関数の収束性」と言ったとき、f(x)の動きを追うためには必然的にxの動きについても追ってあげる必要がある。
    • だから、f(x)の収束を定義する場合、その定義の中に必然的にxの動きについての記述が入ってくることになる。
  • 直感的だけど、
    • 「f(x)が、Aに限りなく近づくという話がしたいです!」 → 「いつAに近づく話をするの?」(xがAに近づくときの話がしたいのだろう)
    • 「xがAに限りなく近づいた時のf(x)の動きについて語りたいです!」 → 「どうなるの?」(ここで、f(x)の収束という話が登場する、あるいは登場させてあげる)

前よりも慣れてきたはず。

関数の収束性に関する定理について

  • 定理というのはそもそも「定義から当然に導くことができるもの」ってわけだから、文字通り、当然に導ける必要がある。
    • 理想は、「定義に沿って表現したら、当然に理解できる形で定理というものが現れてきました」といった感じ。理想というか、こういう形のものはわかりやすくて推せる。
  • あるいは、収束の場合定義がかなり「数式より」だから、定義に落とし込むだけであとは式いじりで定理が証明できました、みたいなことも多い気がする。

これ大事な気がする↓

  • 関数の収束が与えられたら、当然のこととして、収束の定義に則って数式を得ることができる。

定理の証明を通じて定義の理解について腹落ちしたら、その定理は卒業して良いって感じだと思っている。

  • 定理の証明は、「使用していい既知のこと」を駆使して、定理として主張されているものを「当然に」論理的帰結として導くこと。

個人的には、「当然に」っていう点がミソだと思っている。

だから、基本的に、定義というものを十分に理解している人にとっては定理というのは本当に「何当然のこと言ってんだ」って感じなんだろうな。

その他「例」などについて

  • 収束性の例としてはよく「sin x / xの収束」とかが出てくるけど、これ証明は綺麗だけどあんまり収束性の定義については触れてない気がするんだよな。だから、天下り的にこの極限値を使ってしまって良いと思う。

ちょっとやり足りない気もするが、脳みそが限界な気がするので今日は終了します。

次。

定理の証明むずいのあるから、それに取り組む。まだ理解できていないってことだ。

ということで、今回もお疲れ様でした。最後までお読みいただき、ありがとうございます。