やかんです。

今回も完全に「めも記事」ということで、「コミュニティ」についての妄言を垂れます。

東大生やかんのブログ
やかん

最近妄言ばかりですみません。。

コミュニティとは

この記事内での定義ですが、「誰かが一定の宣伝文句のもとで人を募集し、複数人がそこに参加したもの」くらいに考えます。

例えば、「このコミュニティに入れば、学問的に素敵な出会いがあるよ!」みたいな宣伝文句に対して、「それが本当であるなら参加しようかなあ」と人が集まる、みたいな。で、結果人が集まったものを今回はコミュニティと呼びます。

妄言

で、これは僕個人の感想ですが、コミュニティって良し悪し激しいですよね。個人的な好き嫌いのレベルではありますが、以下、個人的な「不満」を連ねさせてください。

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ヘイトスピーチみたいですみません。。

  • 「せっかく参加したのに、もっと運営の人手際よく運営してよ」
  • 「宣伝文句を見て参加したのに、実情は全然違うじゃんか」
  • 「運営の人に『運営してますよ感』出されると冷めちゃうんだが」
  • 「『一部の人が決める、それ以外は従う』の構図は今求めてないんだよ」
  • 「コミュニティに参加したことで得られるメリットよりも、mtgとかアンケートとかにかかる負担(デメリット)の方が大きいじゃんか」

あたりでしょうか。これらの不満、せっかく不満として僕の中に誕生してくれたので、もうちょっと深めてみたいと思っているところです。

何が課題なの

「課題」っぽく見える(けど実はまだまだ課題には到底辿り着いていない)ものに近づくためには、不満を不満で終わらせてしまっていてはいけませんね。

そんな面倒なこと考えなくても、そのコミュニティを脱退して仕舞えば話は解決かもしれないんですが、まあ今回はせっかくなのでつらつら考えてみます。また、上にあげた不満たちはいろんな側面を持っていますが、あえてここでは分類等整理することなく対等かつ雑に扱います。

「宣伝文句と実情が違う」というのは、少なくともそもそも宣伝文句が間違っていたパターンと、運営が間違っているパターンの2つがあります。前者について、宣伝文句が間違っていたパターンの場合は、「よりコミュニティを正確に表現した宣伝文句を考えてください」で済みそうですが、これ、「その宣伝文句に惹かれてやってきた人たち」が複数人いた場合、そこに生じている「ニーズの一致」みたいなのを逃してしまってはもったいないですよね。

話思いっきりそれました。

後者について、運営が間違っているパターンの場合は、さらに運営の「こういうコミュニティを作りたい」とメンバーの「こういうコミュニティに参加したい」が遠いところにあるパターンと、運営における目標・目的が「コミュニティを運営すること」になってしまっているパターンと、少なくとも2つに分類できるかな?

うん、結局「課題」に近づくことはできなかったけど、言葉の具体性は1ミリくらい上がったかな?

とりあえずもうちょっと思考を発散させてみる

コミュニティって、基本ご縁で巡り合うものである気はするが、入ってみないと雰囲気とかわからないよね。コミュニティが宣伝文句としている事柄と、実際のコミュニティの雰囲気、少なくとも2つの変数を参加の意思がある人は追う必要がありそう。それなりにコスト高そうだよね。

コミュニティ参加に選考とかがある場合は、もっとこのコストが高じる気がする。物理的に選考に費やすコストもある、時間とかPCの消費電力とか。

でも一方で「いいコミュニティ」もあるから、そうでないものとは何が違うんだろう。これが「圧倒的カリスマの存在の有無」とかだと寂しいけど、そうでない場合は思考の対象として十分な気がする。

でもこれ、面白いのが、そんな期待外れなコミュニティだったとしても、メンバーが集っていて、そのメンバーが粒揃いというケースもあることだよね。その場合、もう運営とかなくても、てか下手な運営がある場合よりもむしろメンバー自身の自発的なアクションに委ねた方がいい方向に回っていくのでは?「粒揃いなメンバーを集める」というところで一旦コミュニティの役割を止めてあげて、あとは自発的にそのコミュニティが行先を眺める、的な。運営は、「躓きそうな石」を取り除くことに注意するみたいな。個人的にはこういうコミュニティは信頼できて好きな気がするな。

属人性を持たせてしまうと話は終了しちゃうよねー、「この人嫌いだから、辞めます」とかだともう、なすすべなし。あ、でもそういう場合は、それで終了することがないようにコミュニティが何らかの理想的で素晴らしい仕組みを用意できていればいいのか?やるのめちゃむずだろうけど。

あと、新たなコミュニティとかの場合は、「郷に入っては郷に従え」の力学で、「とりあえず『こんなもんか』と納得しつつ、様子を見るか?」と様子を伺うことがほとんどだと思う。この場合、メンバーが自発的にできることはかなり限定的。「郷に従ってる」状態だからね。この状態のうちに不満が蓄積されるとちょっと絶望的かなー、コミュニティが確立されるまでの我慢期間なのかもしれないが。でも時間含めリソースは有限だし、そんな状態でやたら全体mtgとか設定されたらたまったもんじゃないよね。この場合、運営は「こういうわけだから、ぜひ一緒にコミュニティ固めたくて、郷に従うモードを解除してくれないか」という打診をすればいいのか?これは論理飛躍してるから多分筋が悪いと思われるが。

以上。

思考を発散させる、殴り書き記事になりました。毎度毎度ごめんなさい。

ということで、こちらのメモ記事は終了です。最後までお読みいただき、ありがとうございます。