やかんです。以前記事で絶賛していた東大法学部持ち出し科目の法社会学ですが、記念すべき2回目の授業を受けました。この授業、週2であるんですよね(水金)。
以前記事↓
「どうせ授業の復習するなら、せっかくだし記事にしてみよっか」ってことで、記事にしてみようと思います。
※教授に許可を取った上で記事にしています。
※記事の内容に誤り・不適切な点などを見つけた場合には、コメントなどでやかんにお知らせいただけますと幸いです。
- 今回の授業のテーマはなんだろうか。
- ルールを2つに分類しよう。
- 法社会学における法の概念
- ハーバード・ハートの考え。
- オイゲン・エールリッヒの考え。
- 法社会学のグランドセオリー(一般理論)を見てみよう。
- 「法」の中の「社会」を見る。
今回の授業のテーマはなんだろうか。
人によって授業の捉え方は違うかもですが、僕の目には次の2つが今回の授業のテーマのように映りました。
- 法社会学における法の概念について
- 法社会学のグランドセオリーについて
1つ目は「そもそも法って何?」という話で、2つ目は「法社会学を勉強するなら、有名な理論については少なくとも学んでおこうね」という話。
全然違ったらごめんなさい。
ルールを2つに分類しよう。
世の中に存在するルールは、少なくとも2つに分類できます。それは、「人々の行動を調整するためのルール」と「人々の協力行動の促進のためのルール」。
確かに、言われてみるとこの分類はしっくりきますね。。
前者は例えば「左側通行」とか。後者は例えば「万引きはダメだよ」とか。
「ルールについて考えよう」だと抽象度が高くて考えにくいですが、ルールを2つに分けて考えてみるとなんかスッキリ感があります。
「分ける」ことは「わかる」ことだよ、とか聞いたことあります。
授業では、それぞれのルールについて、どんな特徴を持つのか、なぜそうしたルールが生じるのかといったことを考察しました。囚人のジレンマとかもちょこっと扱いましたね。
法社会学における法の概念
「そもそも法ってなんだ?」みたいなこと。
授業では、2人の法学者の考え方を用いて法の概念について考えました。
ハーバード・ハートの考え。
ハートさんは、「法=『第一次ルール』+『第二次ルール』」という定義を採用しました。
第一次ルール?第二次ルール?
第一次ルールの定義は以下の通り。
「一次ルール(primary rule)」とは、人びとに一定の行為を行う責務を課し、それへの違反に対しては罰則を課すルールである。
佐藤岩夫・阿部昌樹「スタンダード法社会学」
すべきこと・すべきでないことを定めたものと言えます。
第二次ルールは、定義はちょっと小難しいので省略しますが、「(ルールの)承認・変更・裁定といった、手続きに関するルール」です。
ハートは、この第一次ルールと第二次ルールを合わせたものが法だよ、と定義したんですね。
オイゲン・エールリッヒの考え。
エールリッヒさんは、「法=『生ける法』+『裁判規範』+『法命題』」という定義を採用しました。
いけるほう?さいばんきはん?ほうめいだい?
生ける法
「生ける法」というのはエールリッヒが提案した概念で、「人びとが日常生活の中で受け入れ従っている規範」(佐藤岩夫・阿部昌樹「スタンダード法社会学」)のことです。
国家制定法以外のルール、とも言えます。
裁判規範
裁判所が定めた規範のことです。
そのままやん。
すっごい雑かもですが、「『生ける法』が不安定になった時に、裁判規範によりる解決を図る」という文脈で使用されるものだと思います。
法命題
法命題についてはスタンダード法社会学の説明がわかりやすかったので紹介↓
そして、さしあたりは個別事件に関連して妥当していた裁判規範が、より広い適用範囲を持つようになり、あるいは法技術的に洗練されると、国家がそれを制定法として定めることになる(エールリッヒはこれを「法命題」とよんでいる)。
佐藤岩夫・阿部昌樹「スタンダード法社会学」
「法技術的に洗練」のとこはちょっとなんのことかわかりませんが、「ふむふむ」って感じ。
エールリッヒは、「法は『生ける法』と『裁判規範』と『法命題』が合わさったものだよ」と考えたんですね。
やかん、この、法の定義についてのお話でちょっと感動しました。なんだか、パズルみたいで面白い。
浅はか?
法社会学のグランドセオリー(一般理論)を見てみよう。
「法社会学を勉強するなら、有名な理論については少なくとも学んでおこうね」という話です。授業では3人の法学者による理論を学びました。
デュルケームとマルクスとウェーバーの3人。
3人の理論を紹介していると文字数がとんでもないことになりそうなので、今回は3人の理論の共通点に着目してまとめる、という授業での扱われ方を真似して書いてみます。
3人の理論については今度改めて記事にする予定。
で、3人の理論の共通点としてここで扱うのは、「法』の中の『社会』を見る」という考え方。
「法」の中の「社会」を見る。
「法」の中の「社会」?
サクッと言うと、「法を分析すれば、その法を持つ社会の特徴がわかるよね」という考え方。
逆像法的なニュアンス?
この、「『法』の中の『社会』を見る」とうい考え方について、「スタンダード法社会学」では次のように記載されています(引用箇所は、デュルケムという社会学者について考察している文脈)。
デュルケムのこうした分析は、「法」には、その「法」によって規律されている「社会」の特質が凝縮されたかたちで表象されているはずであり、それゆえに、「法」を分析することによって「社会」についての透徹した理解に到達することができるはずであるという社会学者の認識を、端的に示したものである。
佐藤岩夫・阿部昌樹「スタンダード法社会学」
この考え方が、前述の3人(デュルケーム・マルクス・ウェーバー)の理論に共通しているんですね。
「共通しているんですね」と簡単に書きましたが、この「法→社会」という順番は刺激的な気がします。「そんな考え方もあるのか!」みたいな。
で、デュルケームは法から社会における人々のつながりについて考察し、マルクスは法から社会における階級構造を考察し、ウェーバーは法から社会における合理化のプロセスについて考察しましたが、これらについては別記事で。
というわけで、この記事も終了です。書き始めたのは1週間前なんですが、あれこれ考えてたら書き終わるの遅くなっちゃいましたね、、今他にも下書き状態の記事が溜まってて、ちゃんと書き終えたいですね。。
景気付けに(?)Eve聴いときます。最近これめっちゃ聴いてる気がする。。
最後までお読みいただきありがとうございます!