やかんです。自分が書いた記事をちょいちょい読み返してみると、ちゃんとイタくてウケます。
オモシローイ。
- 目が覚めた。
- わいの信条。
- てな訳で。
目が覚めた。
以前、「頑張ります」「勉強します」ばっかりで疲れちゃったというのを記事にしました(こちら)。
どういう記事だよ。。
その反動なのか、「何かにちゃんと取り組む」ことが極めて少なくなりました。そして、そのことに対して焦りを感じていました。「前の自分ならもっと熱量あった気がするんだけどな、、、」みたいな焦りです。
で、「もっと熱量上げていけ!」ってことで色々やってみてもうまくいかず、悶々とした日々だった気がします。
そんで、今日目が覚めました。覚めた気がしてます。
急展開。
「何かに取り組むこと」の目的は僕にとって、少なくとも「自分の熱量の確認」のためではないです。
そもそも熱量無いしな。
自分の(そもそもあまり無い)熱量を確認して安心したいという目的で何かに取り組んでも、微妙な精神状態になるのは自明です。にも関わらず、僕は盛大に目的を取り違えたまま悶々とした日々を送るのみ。そりゃうまくいかんわー。。
どんまい。
改めて、今思いつく限りの僕が何かに取り組む際の目的は、詳細は後述しますがとりあえず以下の3つだと思ってます。
- (効率的でなくても)効率を重んじる自分になりたい。
- (効率的に)自分を武装したい。
- 何かに集中して、自己満を味わいたい。
結構しょうもない目的たち。
という感じで、多分目が覚めました。
わいの信条。
「信条」っていうとかなり違う気がしますが、僕は「効率」を重んじたい人間です。実際に効率的かどうかはおいといて。
正直、1ミリも効率的ではない。。
「効率的」でいることはできなくても、効率的であろうとするのってなんかかっこよさげじゃないですか???
そんなことない?
僕はそれ(効率的であること)に憧れてます。多分、浪人したくらいからそう思ってます。
ということで、僕は「効率的であること」、ひいては「冷静でいること」を自分の中の理想としておいている節があります。おそらく。
「効率的であること・冷静でいること」という理想とは裏腹に、「がむしゃらに勉強して安心すること」自体を目的としてしていた自分がでしゃばっていました。「がむしゃらに勉強すること」は、(偽りの)安心感をそこそこ手軽に取得できますし。
まあ、どんまいってことで今回はよしとしましょうか。。
どんまい。
てな訳で。
はい。改めて、浪人時より引き継いでいる「効率的でありたい・冷静でありたい」欲を全面に押し出して生きていこうと思います。
初心に帰るって意味も込めて、前読んでた本とか読み直してみようかな。以下の本たち。
うん。読み直すか。すげえ意識高そうでちょっと気がひけるけど。。
やっぱ冷静で効率的な人ってかっこよさげだよなー、ちょいちょい憧れますね。いや、結構憧れるな。ちょっと極端かもしれませんが、当面は「効率命!!!」ってことでやってこうと思います。極端なくらいがちょうどいいです、知らんけど。
ということで、この記事は以上です。最後までお読みいただき、ありがとうございます!