やかんです。
えらくポエミーなタイトルで恐縮ですが、最近ずっと悩んでいたことがちょっとずつ明らかになっている気がするので、メモ程度に綴っときます。
よろしくね
勉強が好きな件について。
僕は、いわゆる勉強が純粋に好きです。楽しいんです。ゲームみたいな感じ。
まあ、ずっと座って勉強してると身体に疲労は溜まるし肩は凝るんですけどね。
勉強が「好きなだけ」な件について。
なんやかんやあって東大に入りました。めっちゃいい大学ですよねー、とても気に入っています。
入学後もやっぱ勉強楽しいので、入学時から勉強はずっと継続してると思ってます。
だが、しかし。
大学4年になると、人によっては研究者を志望したり、研究者までいかなくても大学院という研究機関でより「突き詰めた」学問に励もうとする学生の存在が顕著になります。当然ですが。
あ、今僕大学4年です
そんな中で自分を振り返ってみると、「ただ勉強を趣味的にやってるだけの人」なんですよね。特に研究を通じた生産をするわけでもなく、ただただ「面白いなー」以上に刺激のない勉強を繰り返すだけの人。
すごい、中途半端な感じがします。好きで続けていた勉強(調子に乗れば学問)が、「好き以上の何か」に変わることはないんだろうな、という感覚でしょうか。
ドラマチック!
大袈裟だけど絶望ですよねー、
割と悩んだ。
勉強(調子乗れば学問)は楽しいから好きで、好きだから楽しいです。が、そこから何かが生まれることはなく、「おれ何してるんだけっけ?」な意識が出てきましたな。
久々のブログでちょっと脚色あるかもごめんなさい
ちょっと待ったー!
しばらく悩んでましたが、最近別な見方もできるようになってきたって話をさせていただきます。
結論、「自分が勉強 (調子乗れば学問)を好きでい続けられることって、ひょっとしたらめちゃ幸せなのでは?」です。
僕は勉強(調子乗れば学問)で競争にさらされたことがないです。競争が生じそうな場所を避けてきた or 競争から僕を守ってくれる「何か」が存在してくれてました。
逃げ恥ってやつだね(?)
競争とは無縁のところで勉強(調子乗れば学問)を続けられたので、嫌いになる瞬間はまーじで0でした。
逆に考えれば、競争みたいなヒリヒリした要素を含む環境でも折れずにしっかり先を見据えて学問に取り組まれてきた方々(現在研究されている方や、研究者を志望している学生の方々)は、当然学問において僕の「遥か先」を行くわけですね。
本当に、尊敬の念が尽きない
過去の自分はどうかと言うと、おそらく(というかほぼ確で)精神年齢の幼さもあり「一度でも『負ける』と立ち直れない」系の学生でした。
今は3ミリくらい成長してると信じている、、
となると、そんな豆腐メンタルの僕が今もなお「お勉強大好きー!」と言えるのはめっちゃ奇跡なのでは?と思えてくるわけです。
現在。
もう、何が正解かわからないんですが、少なくとも「今もなお『お勉強大好きー!』でいられることには感謝しなくちゃな」と思っています。
もちろん、研究者の方や研究志望の方、あるいは司法試験などの試験に合格されて専門職に従事される方などに対する尊敬・憧れは尽きません。尽きるわけないです。
ただもう僕は僕なので、勉強(調子乗…略)を好きでいられる自分を受け入れ認めてあげて、同時に自分とは違い「その道を極めた人」に対するリスペクトを忘れない自分も認めてあげる、というのが間違いないのかなと。
加えて、そんな自分でいられることに対する感謝も忘れちゃダメですね。
いやー、でも「自分を受けれ入れよう!」とか、わかっちゃいるけど体現するのはばちばちに難しいですね。やっぱ長い道のりなのかな。
まとめ。
うん、「まだ結論が出ていない」というのが結論ですね。まあ、ゆっくり考えていこうと思いますが、現状こんな感じの思考しているみたいです。
ガキンチョ!
ということで、今回の記事以上になります。最後までお読みいただき、ありがとうございます!